建長寺の見どころ 桜だけじゃない多くの国宝

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こんにちは、かなです。

 

 

北鎌倉駅から江ノ電バスで5分で建長寺に着きます。

鎌倉方面へ向かって歩いても15分の距離なので、歩いて建長寺へ行きました。

 

 

 

 

北鎌倉駅の改札ですね。

TVのロケでも使われていましたね。

 

 

 

鳩サブレー

 

改札から出ると、すぐ右手に「鳩サブレー」で

有名なお土産やさんがあります。

 

鳩サブレーの鳩は鶴岡八幡宮の神の使いの象徴と

なっており、そこからこの「鳩サブレー」が

作られたそうです。

 

 

 

北鎌倉駅の改札から左へ進みます。

何となく不自然に植えられた木々を左手に

進んでいきます。

 

 

 

 

すぐに踏切が見えて、円覚寺への階段もあります。

今日はこちらを通り過ぎます。

 

 

 

また、すぐに駐車場の看板が目立つ建物があります。

こちらは公衆トイレとなっています。

建長寺までは15分はかかるので、寄られて行くと良いと思います。

 

 

正面から、見た所です。

 

 

 

北鎌倉駅から5分程の所の道の反対側に

縁切り寺で有名な東慶寺があります。

 

 

庭はそれほど広くはありませんが、詩季織々の花が見られます。

奥のお墓の方に入って行くと静寂に包まれて、心が清らかになるような

気持ちになります。

 

 

 

割烹料理の「茶飯事」

私はまだ食べたことはありませんが、

なかなか美味しいそうです。

 

食べログによる紹介はこちら

 

 

鉢の木

こちらは精進料理が有名です。

ランチでも予約ができて、予約をすると

11時からお食事ができるとのことです。

鉢の木のホームページはこちら

 

 

第三鎌倉踏切を渡ります。

 

「甘露や」というので、甘味処と思いきやCafeです。

鎌倉にはこういう風なお店が多いですね。

 

 

去来庵(きょらいあん)

ビーフシチューが絶品な、洋食屋さんです。

去来庵のお店の紹介はこちら

 

お煎餅屋さん

 

焼きたてのおせんべいを割って、好みの味につけてくれます。

 

 

10度づけ・・・私には無理そうです。

 

 

この写真の右上に「出川さんも食べた」とのポップが・・・

 

おせんべいに「お誕生日 おめでとう」と書いてある、

お誕生日ケーキならぬお誕生せんべい?

 

 

 

 

 

道の反対側にあるお店には、アンティークなコーヒーカップが

たくさんあります。

 

そろそろ、建長寺に着きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

建長寺も10時過ぎになると、マイクロバスが着き人も多くなります。

桜の時期は9時には着きたいですね。

 

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建長寺へ行く方はお花見の方も多いと思いますが、

建長寺って本当にすごいお寺なんです。

 

ですから、お花見の前にぜひ、建長寺のことを

知ってから、行かれると良いと思います。

 

桜や紫陽花も美しいですが、

国の重要文化財がたくさんあります。

 

花見だけではなく、建物などもじっくりと

見てきてくださいね。

 

 

建長寺とは

北条時頼が執権となっていた頃、勢力争いが激しくなっており、

世の中が落ち着かない時代でした。

 

そこで、北条時頼は善によって国を盛り上げようと

1253年(建長5年)に建長寺を建立しました。

 

そして、中国の禅僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)に

お願いをして、建長寺に招きました。

 

建長寺は蘭渓道隆が開いた、日本で最初の善の大道場です。

 

蘭渓道隆は中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま取り入れ、

建長寺を天下の禅林(全集の寺院)として、多くの僧を集め、

 

一時は千人を超える修行僧を指導しました。

蘭渓道隆はその後、京都の建仁寺、甲斐の東光寺などにも

移り、1278年再び建長寺へ戻り66歳で亡くなりました。

 

後宇多天皇より、大覚禅師という禅師号を賜りました。

しかも、日本で初めての禅師号です。

*禅師号とは中国・日本において高徳な層に与えられる名称のこと

 

なお、「建長汁」は建長寺発祥の料理です。

 

北条時頼は建長寺を建立し、善の教えに全身全霊で信じ、

拠り所にしました。時の権力者として経済的にも建長寺を支え、

全国的に禅宗を広め、自らも出家しました。

 

 

 

 

創建当時は中国宋時代の禅僧寺院を手本にして、

総門・三門・仏殿・法堂(はっとう=講堂)・

 

方丈(本堂,客殿,住職居室を兼ねるもの)が

直線にならび、左右に大禅門・大食堂がありました。

 

その後14〜15世紀の数度の火災により、

その多くが消失してしまいました。

 

江戸時代に入り、沢庵和尚の進言、徳川幕府の援助によって

再建復興し、平成23年に唐門の修復を終えて、今の姿となりました。

 

総門

 

巨福門とも呼ばれ、額の「巨福山」(こふくさん)」という字は

「大きな福をもたらす寺」という意味で、中国僧で建長寺第十世である

一山一寧禅師(いっさんいちねいぜんじ)が書いたものです。

 

*一山一寧禅師とは

中国台州出身の臨済宗の僧。

元 (げん) の使者として来日し、鎌倉幕府に疑われて幽閉されたこともあったが、

のち、建長寺・円覚寺・南禅寺に歴住。書でも有名である。

 

 

 

総門をくぐり拝観料を納めます。

拝観料は、大人500円、小・中学生200円です。

 

拝観時間は8:30~16:30です。

 

 

御朱印

左手に御朱印帳を預けて、番号札をもらいます。

帰りに初穂料300円を納めて御朱印帳をいただきます。

 

境内の案内図

引用 https://www.kenchoji.com/

 

三門への参道の両側から、桜の枝が屋根のように伸びています。

この日は桜の開花予想の1ヶ月前でしたのでつぼみはまだこんな感じ。

 

 

でも、桜が咲くとこんなに美しくなります。

開花が楽しみですね。

 

引用 https://www.megane18.com/entry/kamakura-kentyouji-midokoro-

 

紫陽花の芽が出ていました。

紫陽花も何本も植えられており、アジサイの季節も楽しめると思います。

 

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三門(さんもん)(国重要文化財)

 

 

 

 

三解脱門の略を言います。

* 三解脱門とは迷いの世界を三種の禅定によって脱け出すこと。

この門をくぐることによってあらゆる執着心から解き放たれることを意味します。

 

創建者である蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)の言葉に、

「建長寺は、禅をまなぶすべての人に開け放たれている。

この境内には人を差別しない清風が、いつも吹いている」とあり、

 

建長寺はあらゆる人々、修行者(しゅぎょうじゃ)に

門を開放している事を表しています。

 

楼上(門の上部)には、釈迦如来(しゃかにょらい)・十六羅漢(じゅうろくらかん)

・五百羅漢(ごひゃくらかん=修行を完成された人)を安置しています。

 

この門は1775年に万拙硯誼(ばんせつせきぎ)和尚などの努力によって再建されました。

創建当初は三門後方左右に大坐禅堂(だいざぜんどう)、

大食堂(だいじきどう=話をしたり、音をたててはいけない食堂)がありました。

 

 

仏殿(重要文化財)

 

法要を行うお堂です。

徳川二代将軍秀忠の正室、江が亡くなった際に葬送の前,

遺骸をしばらく安置しておいた霊屋を東京の増上寺より移築したものです。

 

建長寺の柏槇(びゃくしん)(かながわの名木百選鎌倉市指定保存樹木)

和名はイブキという。ヒノキ科に属する。

蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が中国から持ってきた種子を

建長寺創建の際にまいたと言われている。

生育状況も勢いがあり、県下の代表的な名木として知られている。

樹高 13メートル
胸高周囲 6.5メートル
樹齢 約760年(推定)

イブキはビャクシンとも言い、東北南部から九州の海岸に生える常緑高木で、

社寺や庭園によく植えられ、禅寺を象徴する樹木です。

何度もの火災から逃れて、生き残った木です。

 

下から見上げると、幹も太く枝が広がり上までは見通せません。

 

梵鐘(国宝 重さは2.7トン)

この鐘は、北条時頼の願いから広く施主を募り、

蘭渓道隆の銘文、関東鋳物師の筆頭・物部重光によって

鋳造されました。

 

 

 

法堂(はっとう)(重要文化財)

 

 

 

昔は建長寺全体が修行道場であり、敷地にいる僧侶全員がこの法堂に集まって、

住職の説法を聞きました。

 

現在は法要・講演・展覧会などに使われています。

この建物は1814年に建長寺派の寺院により再建されたものです。

 

 

関東最大の法堂で、現在は千手観音(=迷いの中から救い悟りを得るために偉大な働きを持つ観音)を

本尊としています。

 

写真の奥に見えるのが、千手観音です。

 

天井の雲龍図(うんりゅうず=龍が描かれた絵)は建長寺の創建750年を記念して、

小泉淳作(こいずみじゅんさく)画伯によって描かれました。

建長寺創建750年記念事業の一環として法堂(はっとう)に描かれた『雲龍図』は2000年の完成。

小泉淳作画76歳の時です。

 

建長寺から依頼があったのは1996年ですので、構想から下図、完成まで4年の歳月をかけて

縦10m × 横12m、つまり畳約80畳分のスペースに書き上げた大仕事です。

 

禅寺の法堂の天井には龍の絵を掲げる事が慣わしのようになっていて、

天井に書かれた龍は、雷雲を呼び雨を降らせるが如く仏法の教えを修行僧に降り注ぐといいます。

 

 

法堂の出口に可愛らしいフクロウを見つけました。

 

方丈(龍王殿)

 

方丈とは昔は住持(じゅうじ=住職)が居住する場所でした。

現在は法要・坐禅・研修の場所として使われています。

私が訪れた時には「親と子の土曜朗読会 毎週午前10〜11時)」が行われていました。

この建物も、総門と同じく京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)

より1940年に移築されました。

1732年に建てられ、元は皇室のお位牌を安置するためのものでした。

 

この中も見学ができます。

 

 

庭園(国史跡)

方丈の背後に庭園があります。

蘭渓道隆が造った庭です。

寺院の池は普通、寺の前にありますが、建長寺では

一番奥に位置しています。

 

池の周りには得月楼・大客殿・方丈があり、

檀那や貴賓の応接に使われました。

 

 

 

唐門(重要文化財)

 

 

 

方丈の正門で、上の写真が外から撮ったもので、

下の写真は方丈の中から撮ってものです。

 

神々しく輝いていました。

漆塗りの四脚門(よつあしもん=4つの脚がある門)です。

 

1628年、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠の正室、小江の方の

霊屋(おたまや=墓のお堂)の門として建てられました。

その後、1647年、仏殿・西来門(せいらんもん)と共に建長寺に寄附され、

方丈(龍王殿)の正門として使用されています。

 

その他、見てきたもの

 

方丈の奥には小さな山があり、紅葉も美しいそうです。

 

 

 

 

ずいぶん高いしだれ桜です。

花が咲いたら、さぞかし綺麗でしょうね。

 

オカメザクラの蕾は色がつき始めていました。

ソメイヨシノより早く咲きそうですね。

 

梅の時期も終わり頃でしたが、まだ綺麗に咲いている木が残っていました。

 

このような塚も随所に見られます。

 

 

 

おびんずるさま

 

「自分の体の悪いところを、おびんずるさまの体を

こすると治ります。」と書いてあったので、頭を

こすってきました。

 

こんな立て札もあり、私は初めてこのことを知りました。

 

まとめ

花見の下見として訪れた建長寺でしたが、日本で初めての禅宗の寺であり、

多くの僧の修行の場であったこと。

何度もの火災でほぼ焼き尽くされても、その後の再建にも力が入れられているのが

文化財の多さなどで建長寺がどれほど大切にされているのかが

よくわかりました。

 

お花見で訪れた際は、桜だけでなく、建長寺の中を

全部見てきて欲しいと思います。

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