田中圭が子供の頃はどんな子?子供の頃からデビュー後の写真も

 

今や人気絶頂の田中圭さんですが、

子供の頃からイケメンだったのでしょうか?

子供の頃はどんなお子さんだったのでしょうか?

子供の頃やエピソードを紹介していきます。

デビュー後の写真もありますのでお楽しみに!

 

田中圭が子供の頃に住んでいた所はどこ?

 

田中圭さんは東京都江東区大島で生まれました。

田中圭さんは1984年生まれなので、近くに都営地下鉄新宿線の大島駅が

あり、便利なところですが、一方下町の雰囲気はある地域です。

 

小学5年生で江東区亀戸へ引っ越しますが、

大島から亀戸はバスで10分〜15分程度で行ける近さです。

 

田中圭さんは東京都江東区で生まれ育ったのですね。

 



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田中圭が子供の頃の写真を見ると、イケメンの素質も・・・

 

丸顔で可愛いですね。

女の子と間違えられそうな感じですが、

顔の作りは整っていますね。

 

引用 https://bokuwatageinou.com/

 

年齢と共に成長する姿の写真も・・・

 

おばあさんと一緒に写っている写真を見ると、

なかなかカッコイイ少年だったと思います。

 

こんな写真もありました。

あまりにも可愛かったので、親戚にイジられて女装したことも・・・

ポーズまで取って、本人も女の子になり切っていますね。

 



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田中圭さんが子供の頃の家族は?

 

社長をやっていた父親が早くに亡くなっており、

母親と祖母の3人暮らしをしていました。

 

一人っ子だったので、一人で遊ぶ手のかからない子でした。

一人で本を読むのがお気に入りだったそうです。

 



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田中圭が子供の頃は神童だったって本当なの?

 

幼稚園の時に母がいない時に母が経営するお店で一人で店番をしていたそうです。

その時の電話の対応が幼稚園児とは思えない神対応なんです。

 

「今は母外出しておりますので、何かご用件がありましたらつたえておきます」

 

幼稚園児ですよ。

このセリフを、相手の状況に応じて使いこなせるのは

相当頭が良くないとできないですね。

 

田中圭さんは中高一貫の渋谷幕張(偏差値75)に入学しましたが、

このエピソードで、高学歴の理由に納得しました。

 

生まれつき相当頭がいいですね。

セリフ覚えも良いのはIQ自体が高いと考えられます。

 

そんな大人びたところもあった田中圭さんですが、

子供らしいこんな面もありました。

 

引用 アサッテノアカリ

 

わざわざ、狭いところに入り込んでいる田中圭さん。

狭いところが大好きで良くハマって遊んでいたそうです。

(徹子の部屋より)

狭いところに入ると安心するんですよね。

 

主に祖母に世話をしてもらっていたとはいえ、

心のどこかで寂しい思いもあったのではないかというのは私見ですが。

 

そんな田中圭さんの初恋の相手は幼稚園の先生。

スカートの下をスライディングしていたこともあるんだとか。

いたずら心いっぱいの田中圭さんの子供の頃の映像が

目に浮かびます。



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田中圭が子供の頃に麻雀を覚えた訳は?

小学校は中央区久松小学校を卒業しています。

いわゆる越境通学ですね。

こんなところにもお母さんの教育熱心さが伺われます。

 

でも、越境通学していると近所に遊ぶ友達がいないんですよね。

そんな時にはまったのが、ゲーム機でやる麻雀だったと言います。

流行っている格闘ゲームとかは1回50円で並んでいたんですけど、

麻雀ゲームは1回20円で誰も並んでいなくて。

負けないかぎりずっと続けられるのと、

勝つとコンピューターの女の子が服を脱ぐんですよ。

 

『なんだこのゲームは!?』と思って、20円でずっとやってたんですけど、

ボタンをよくわからず押してて、アガれるときとアガれないときがあった。

『なんでこれはアガれないんだ!?』と小学3年生なりに考えまして、

それから1年くらいかけておぼえました。

田中圭さん、子供の頃からスケベだったんですね!

 



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田中圭が小学校でいじめを受けていたが本人は・・・

 

「幼稚園児の頃、暇だったこともあってずっと本を読んでいました。

母ちゃんがいないときは、1人で家業の店番とかをする幼稚園児で、

小学校に入ってもテストで100点以外とったことがなかったし、

バスケをやっていて運動も出来たし、塾、KUMON、書道、ピアノとか、

めちゃくちゃ習い事もしていましたね。

でもほぼすぐにやめちゃって、残ったのはバスケだけだったかな。

大人たちからは〝神童〞って呼ばれていました。

でもその結果なのか、あるとき気づいたら友達いない⁉

誘われたことない⁉って思って。

俺イジメられてたらしく。気づいてなかったんすよ(笑)」

引用 with online

本人もこう語るほど、成績優秀。

そりゃ、同級生もなかなか寄ってきませんよね。

 

ところがある日行われた男女混合ドッジボールで転機が訪れるのです。

田中圭さんはイジメっ子からボールを投げられたもののキャッチし、

顔に投げつけ返したそう。

 

イジメっ子はショックのあまりその場で泣き崩れ、田中圭を追い回す行動に出ました。

その様子を見ていたクラスメイトたちはイジメっ子の本性を見て、

田中圭への見方がガラッと変わったんだとか

その日をきっかけに、一人で過ごしていた時間が嘘のように、

次々とクラスメイトに話しかけられるようになったそうです。

 

田中圭が芸能界デビューをした訳は?

色々と習い事をしていた田中圭さんですが、

結局続いたのはバスケットだけだったそうです。

しかし、その腕前が半端じゃない。

 

小学校1年からバスケットボールを始めて夢中になり、

全国大会で優勝するほどのクラブチームに所属しています。

バスケを始めたきっかけはMBAが好きだったお母さんの影響です。

 

「ずっとバスケをやっていきたかったんですけど、

中3のときに怪我で1年間中断しなくちゃいけなくて、

わかりやすく不良と化したんです。

 

ただ、学校帰りにゲームセンターに寄るとかのレベルですけど、

成績も落ちこぼれていきましたね。

 

それを見かねて、刺激になるかもってことで、

母ちゃんがオーディション雑誌に応募していて。

 

書類が通ったからって俺に大興奮で『行ってきなよ!』って言うから

『ヤダッ』って返したら、『5000円あげるから!』って言われて交渉成立。

 

気づいたら、3日間で約1万3000人から20人に絞られた中に残り、

そうなると不思議と受かりたいって思うようになり。

でも、落ちました(笑)。ただそれがきっかけで今の事務所に。

面接の日に、せっかく都心に出るなら帰りに渋谷で遊びたくて

友達同伴で行ってびっくりされたのを覚えてます」
引用 with online

まだ、高校生の時ですもの。

お母さんも色々と思案した結果だったのでしょう。

 

でも、5000円でつられた当時の田中圭さんが存在したから、

今私たちは田中圭さんのドラマや映画を楽しむことができるなんて、

人生はどう転がるか、わからないものですね。

田中圭がデビューしてからの写真で見るイケメン度

田中圭さんは1984年7月10日生まれ。

爽やかな好青年。写真慣れしてなさそう?

「タイヨウのうた」当時22歳

まだ幼さが残る少年の顔ですが、面影があります。

24歳の時の「スジナシ」

青年の顔になってきました。

「銭ゲバ」当時24歳 ワイルドな雰囲気

27歳今とほとんど変わりませんね。

まとめ

幼い頃の可愛らしいお顔や女装をさせられていたこと。

お母さんの教育熱心さで越境入学したことが麻雀を覚えるきっかけに。

頭も良く、中高一貫の渋谷幕張(偏差値75)で学びながら、バスケに夢中。

しかし、怪我が元で中3で不良化したのを心配したお母さんが

オーディションを受けさせたきっかけで、芸能界入りしました。

 

幼い頃から整った顔をした田中圭さん、すっかりイケメンになってますね。

田中圭さんの今後の活躍を期待しています。

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